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2008.11.16

人の軽重ではなくつながりの軽重と考えてみては

 あいかわらずのココログ放置中、ご無沙汰しております。久々のエントリ、自ブログながら敷居が高いなあ。

開始当初からヘビーに使ってきた先駆者が異口同音に書くわけですよ、「Twitterではfollowもremoveも気軽にしていい(というか、気にしちゃいけないお約束)」と。

なんでなんで?

たとえばSNSでのともだち関係(mixiでいうところのマイミク)の加除とTwitterでの加除に"重さ"の違いがあっていいという(むしろ積極的に軽重差を作っているように感じますが)のはなぜ?

(中略)

「画面の向こうには人がいる」というのは、あなたがただってよくお書きになるフレーズですよね?
だったら。
「人」を基準として考えるなら。
その(コミュニケーションの)場が何であるかは枝葉の話であって。
「場」を理由に相手を重く扱ったり軽く扱ったりするのはどうなの?と考えるんですよ。

CONCORDE: 場が違っても、「人」なんですよ?

 人を基準と考えるのでなく、「つながり」を基準として考えたらいいのじゃないかな、と思います。人を軽んじたり重んじたりしているのではなく、それぞれの「場」で規定されている「つながり方」に軽い重いがあるのだと。

 最近、FaceBookに参加しまして、セカンドライフのグループ(mixiで言うコミュニティと同じ位置づけ)があるので参加したところ、リアルはもちろんのこと、セカンドライフ内でも会ったことのない外人さんたちから続々とフレンド申請が来まして。

「何これ!海外の人はこんなにお気楽にフレ登録しちゃうの!?フリーダムすぎる!」

と最初は恐れをなしていましたが、気がついてみれば何のことはない。
 FaceBookでは、初期設定では名前と顔写真を除くプロフィールはフレンド限定公開となっているので、「プロフィールを読むためにフレンド登録する」という行為が一般化しているのでした。

 それぞれのサービスの仕組み、規約、ありようなどが組み合わさって、そのサービスに最適な「つながり方」ができてくる。たとえばmixiではある程度の重みを持って、twitterでは気軽に。その「つながり方」そのものが、ネット上の「場」というものではないかと思っています。

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コメント

>Tigerさん
ご無沙汰してます。お返事が遅れてすみません。

確かに軽重というより「距離感」と言ったほうがしっくりきますね。複数のつながりが前提、ということもおっしゃる通りだと思います。相手の重みというものは不変で、場によって距離が変わってくるだけということですね。

ご無沙汰してます(笑

重要なのは「つながり」の「距離感」なのかなと、私は感じています。

SNSというパラダイムは、その中だけでなく、インターネット全体を、一つのSNSに変えつつあるのだと思うのです。

ツールによって、場によって、様々な距離感を選択できる世界になってきていて、その人と適切な距離感を得られる場では繋がるけれど、Twitterでは近すぎるなど違和感を感じたときには、遠慮することなく、外して構わない…

つまり、複数の場で繋がっていることが前提の場であると云えるのかと思うのですよね。

当初から利用するヘビーユーザーは当然、様々な場においてもアリーアダプターであり、ヘビーユーザーだったりするわけで、これを体感して、実施しているのだろうと思います。

 コメントありがとうございます。私の場合、交友関係が狭いのでmixiでもtwitterでも同じような人とつながってたりします(苦笑)だから本文のような結論に行き着きやすかったのかも。

 ちなみに、大抵のSNSやミニブログでは、つながりを切っても通知されないので、私のようなニブい奴は切られたことにさえ気がつきません(爆)

トラックバック受領しました。

>その「つながり方」そのものが、ネット上の「場」というものではないかと

ああなるほど、そういう考え方も成り立つかもしれないですね。
それぞれの特色を感じないわけではないし、またそれぞれのノリについてゆけないわけではないのですが、
自分としては(どこであっても)いちど出来たつながりは続いていたいし続けていたいんだ、という思いを優先してしまう性分なんだろうな、と気付きました。
まぁ自分のことはともかく……
(相手から)切られたらわだかまりは残るんじゃないのかなぁだれだって、とは思うのですがねぇ(^^;;;

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