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2006.11.30

ニフティ市史 〜 ココログ村とフォーラム村

[妄想]はてな村博物誌6「はてな村とオーマイ村」が面白かったのでインスパイヤされて、というより「ナオヤさんはココログ村出身というより、ココログ村を作った大工さんだよなー」と思ったので。

ニフティ市がブロゴスフィア島への進出をはじめたのは、3年前の冬のことでした。

 ニフティ市はもともと、今から20年ほど前に、フォーラム村、BBS村などいくつかの村を擁して誕生した小都市でした。その頃、電子の海を漕ぎ渡る技術はまだなく、人々は近くの村や町に住み着いて、ひっそりと暮らしていました。そんな中、村としては最大規模を誇っていたのが、フォーラム村です。
 フォーラム村の村民の多くは、自分たちの村に愛着を持っていました。村には「マルチポスト禁止」「過去ログ読め」「改行は60文字以内で適宜」「Give&Take」「質問して、問題が解決したら必ず報告とお礼を」などの厳しい掟がありましたが、いずれも村での生活を支えるために生み出されたものであり、村人たちは率先してこれを守り、また新しく村にやってきた者には、これらの掟が厳しく教え込まれました(なお、これらの掟の多くは、後に村を出た者たちの手によって、モヒカン族に伝えられたと言われています。)。
 また、掟のほかにも、村を住みよくするためのさまざまな工夫がなされました。村の長屋から長屋へと高速で飛び回る小型飛行機や、村内の連絡だけでなく、他の村でも使うことができる通信機など、便利な機械が数多く、村人自身の手によって開発されました。
 その後、情報大航海時代の幕開けにより、電子の海を越えて他の島や陸地へわたることが可能となり、人々の前には広い世界が開けはじめます。フォーラム村の村民の中にも、村を離れ、新天地へと漕ぎ出してゆく者が増えてきました。こうした流れを前に、ニフティ市の古河市長は、こう考えたのです。

「この時流に乗り損ねたら、われわれは取り残される。世界に開かれたニフティ市にするため、村々の大改革を行うべきだ。」

 そして市長の号令の下、改革が実行に移されます。まず、外からの渡航者を受け入れられるように、村の門を開放する。次いで、古くなっている建物を取り壊し、外から来た人でも住みやすい、新建築様式の住宅を建設する。
 しかしこの改革は、古くからいる村民には不評でした。新しい住宅では、これまで村内で使われていた飛行機も通信機も、使うことができません。その上、当時村の外から取り入れられた建築技術は、まだ未完成で、村民にとってはむしろ不便を強いられることが多かったのです。
 ひとり、またひとりと、村を去る者が増えてゆきました。村のさらなる発展を目指したこの改革は、皮肉にも、村人の流出による村の衰退を招いてしまったのです。

 しばらくして、電子の海でブロゴスフィア島の存在が確認されました。開拓精神豊かな若者たちがこの未開の地に降り立ち、手作りの小屋をたてて生活しはじめました。そんな若者たちの中に、当時古河市長のお抱え大工であった、ナオヤ親方がいました。ブロゴスフィア島での生活に感銘を受けた親方は、ニフティ市に戻り、市長にこう進言します。

「ブロゴスフィア島に、ニフティ市民のための別荘を建てたい。」

 親方の熱意に打たれた市長は、その計画に承認の印を押しました。こうして、ブロゴスフィア島にニフティ市別荘地、ココログ村が建設されたのです。

 ココログ村が完成して、最初に入居したのは古河市長本人。そして、それに続いて移住していった者たち中には、意外なことに、フォーラム村の村民たちも数多く混じっていました。
 ナオヤ親方の建てた別荘は、海外の建築様式を日本風にアレンジしたものでしたが、これが偶然にも、かつて村の標準的な住宅であった長屋と同じような住み心地を提供してくれたのです。さらに、かつての飛行機よろしく、トラックバック野郎が家々の間を走り回り、村人たちの心をつなげてゆきます。画一的な建物を個性豊かに飾りつけるために、村人たちの工夫が凝らされ、かつてのフォーラム村の賑わいを髣髴とさせる熱気が、ココログ村をつつんでいました。

 しかしその熱気も、長くは続きませんでした。次第に人口の増えていったココログ村では、村道の整備不足が深刻な問題となっていました。いくら待っても情報がやってこない。頼みの綱のトラックバック野郎も、渋滞に立ち往生させられることが多くなり、住民たちの心は自然と離れてゆきました。村の創設に大きく貢献したナオヤ親方も、村の完成からしばらくして、その腕前を近藤村長に買われ、ニフティ市を去ってはてな村の自治会長に就任しており、すでに村にはいません。残された某めがねの親方たちは懸命に整備を続けましたが、そんな折に発表された古河市長の施策が、ココログ村の村民たちの怒りに火をつけます。

 広告用の貸し看板を掲げた新しい別荘を建て、広告収入を維持費にあてることによって、居住空間を無償で開放する。
 
 家賃を払ってなお道路網の不備に悩まされ続ける住民たちにとって、この知らせは許しがたいものでした。新築する資金の猶予があるなら、こっちの道路を整備してくれ。こうした声にもかかわらず完成した新しい別荘が、最新の様式で旧来の別荘よりも多くの機能を備えていたことが、怒りにさらに拍車をかけます。ついには、市長告訴の動きまで出てくるようになったのです。

 また、新しい別荘の住民たちと、旧来のココログ村の住民たちとの間にも、すれ違いが生じていました。新しい住民たちのほとんどは、村の完成当初に村人たちによって生み出された、村を住みよくするための情報も、かつてフォーラム村で生まれ、ココログ村にも一部受け継がれた厳しい掟も知りません。住宅の機能を使いこなせずにあたふたしたり、間違ったやり方でトラックバック野郎を走らせたりといったトラブルが相次ぎます。それを見越して、かつてのフォーラム村を真似た互助会が設立され、現状を見かねたココログ村の青年団員たちがその世話役を買って出ましたが、掟の存在を知らない新しい住民たちが奔放な利用を繰り返すため、わずかな人数の世話役たちに大きな負担がかかり、安定した運営もままなりません。

 それからおよそ半年。新住宅の完成後、ようやく行われた大規模整備工事により、旧ココログ村の道路網は機能を取り戻しました。しかし、かつてのフォーラム村のように村に強い愛着をもつ村民は、ほんの一握りの存在となっています。
 一方、フォーラム村は来年、廃村となることが決定しました。来年の3月で村への立ち入りは禁止。その6ヵ月後には、かつて村人たちが暮らした長屋も取り壊されます。
 フォーラム村のある青年団員は、私たちの取材に対し、こう答えてくれました。

 ・フォーラム村が廃村になった後どうするか決めていますか?

「フォーラム村を支えていたのは、村の長屋じゃなく、そこに暮らしている人たちだったと、私は考えています。廃村になったら、青年団の仲間たちと一緒に、新しい村を立ち上げるつもりです。」

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コメント

 わー、お読みいただきありがとうございます。はてな界隈じゃココログの歴史なんて話は通じないかな?とも思いましたが、面白いと言って下さって嬉しいです。

トラックバック野郎ありがとうございます。そうだった~ココログ村は電子の海の遥か太古からの伝統があるんだった。大変面白い内容ありがとうございました。

なお、この記事の内容はフィクションです。ええ、フィクションですってば。

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